日常35 祖母と孫 その2
ご飯別居宣言。
つまり、ご飯を別々に食べましょうということ。
孫が料理下手というのは、これはもう土下座では済まされないと思う。
一応、孫の名誉のために、祖母も「不味くはない」と言ってくれる。
問題は「固さ」なのだ。
孫が思う柔らかいものと、祖母のいう柔らかさは全然違った。
それは、何度も失敗を繰り返していくうちに慣れていくだろうー孫が、と思っていたが、甘かった。
祖母は心配のしすぎで、その他諸々いろんなに対して孫への信頼度、現在ほぼゼロ。
一方、孫は孫で、嫌われようが、いやがられようが、この家で祖母のそばにいることを結構な覚悟で決めて帰ってきていたから、そんなに深く考えていなかったのだが。
人生の最後、嫌いな人と一緒にいるのは、祖母のことを考えるとかわいそうかしら。
別に、祖母を苦しめたいわけじゃなかったので、どうしたものかと相談した先が、社会福祉協議会。
噂には聞いたことがあった社協。
祖母と暮らすことは何も不安はなかったけれど、ここにきて、高齢者と住んでいる自覚をした孫。それに関しては本当に反省……。
高齢者扱いすると、やっぱり嫌がる祖母。
でも、ガンガン出てくる弱音は「高齢者」であるという自覚ばかり。
しまいには、自分を高齢者として扱っていないとまで言ってくる。
孫、困惑。
というわけで、社協へ電話。
高齢者と暮らしつつ、高齢者扱いしないってどういうことだろう。
祖母を、祖母として尊重しつつ、高齢者としていたわるにはどうしたらいいのか。
電話で結構率直に聞いてみた。
すると、想像以上に親身になって聞いてくださった。
そして、紹介されたのが、祖母のケアマネージャーさん。
そこに思い至らなかったことに驚きと反省。
高齢者住まいの「食事別居」はよくあることだと、後日相談しに行ったケアマネージャーさんに言われた。
地域の市民センターでやっている高齢者向けの料理教室も教えてくれた。
でも、一番安心したのは、やっぱり祖母が、孫のことを心配で仕方がないとしても、それでも孫が、できることとできないこと、やれることとやれないことをはっきり言っていいと言われたこと。
孫自身の暮らしを大事にして、笑顔でいることが一番大事なのだと。
たかが心配、されど心配。
それって結局、行き過ぎれば喧嘩の元で。
でも、その大元は愛情でしかないわけで。
それに対して、私ができることは、ここにちゃんとしっかり帰ってくることなんだろうな。
喧嘩しても、嫌われても、と思っていたけれど、
祖母は喧嘩しても嫌いにならないという。
じゃあ、私は喧嘩してもちゃんと帰ってこようと思った。
遊びに行くのはやめないし、調査も勉強も続けたい。
でも、同じくらい、祖母のそばにいたいことも事実なので。
食事別居、孫にとってはやっぱりありがたい。
気にして慌てて帰らなくていいから。
でも、その代わり朝の珈琲タイムは絶対一緒にとる。
時々うまくできた柔らかい食事はシェアして、私は堂々と夜遊びへも行く。
その代わり、時々お土産も買ってみる。
丸い座椅子が必須の祖母に、部屋数分だけ座椅子が増えていく日々。
祖母はボケ防止と言って、自分の食べやすいものを食べている。
まあ元々そういう生活をしていたわけで、できなくなったわけじゃない。
そんなこんなで、祖母と孫は食事別居をスタートさせた。
そしてそれとほぼ同時に、もう一つ生活の変化。
祖母は入院することになった。
つづく。