日常52 孫の独り言
ブログをお休みしていた言い訳回です。
実は、7月、祖母からブログをしないでほしい的なことを言われていました。
孫、衝撃。
今、考えると、単純に「ブログ」というものがなんなのかわからなかったみたいで。
さらに手術前だったから、すごく不安だったというのもあるのだと思う。
はっきりと言われた訳ではないし、たった一度だけ。
「カタカタなんかやりよるんは、ねえ…わしにはわからん」
という感じ。
だから、ちょっとずつ、ブログのやり方を考えないとなあと思い始めた孫。
ここ2ヶ月くらい、ずっと悩んでいたことです。
祖母と暮らすこと、ブログという形の発信、高齢者介護のこと、孫の趣味のこと。
全部ひっくるめてのことだったし、ここに書くことも悩みに悩み。
何事もなかったようにまた日常の一部を切り取って書けばよいのですが、
根っこが真面目だからか、不器用なのか、どうしてもここでちゃんと書いておかないと次に進めない感覚があったので。
今日は、だいぶ「介護」という部分にも触れます。
祖母と暮らすことは、それなりに覚悟していましたが、改めて孫の覚悟を書こうかなと。
なので、とてつもなく長い独り言です。
よろしければ、お付き合いください。
とにかく、孫は祖母の最期まで一緒にいたいという思いが最前線にあるのですが、
別に素晴らしい家族愛とか、感動的なストーリーがある訳ではないんです。
残念なくらい、ドラマチックな理由がない。
孫は、伝承収集が趣味なので、それをするなら田舎は都合がいいし、おばばと過ごせるし。
それだけの理由。
だから、今まで祖母と面白楽しく会話していた通りに生活ができると思っていたんです。
実際は、私の想像をはるかに超え、さらに両親が思っていた以上に祖母は老いていたました。
もともと、介護を仕事にしていた祖母は、高齢者に対する知識があったので
「こうなってはいけない」というイメージがとても強くて、あとものすごく負けん気の強い性格のおかげで、多分一人暮らしができていたんだと思います。
孫が一緒に住むことで起こった生活の変化は、緩やかに祖母の認知を狂わしていたし、
手術による入院と、回復のための休養は認知には大打撃でした。
退院して、明らかに会話が覚束ないというか、違和感という瞬間が増えました。
入れ歯をしてないのかな?という拙い喋り方や、
よだれを垂らして本を読んでいる瞬間、
夕方、ソファーに座って、気がついたら夜の10時とか。
そして、何より機嫌の良し悪しがすごかったんです。
孫必死に図書館で介護の本を借りまくる日々……
孫だって、気持ちの浮き沈みも機嫌の良し悪しもある。
だけど、なんというか、表情筋死んでるよ?……と突っ込みたい感じ。
多分、孫も焦ってました。
どうしたもんかなーと。
だからきっとイライラしていたんだと思う。
高齢者介護の本を読んで、一番衝撃だったのが、
「否定しない、ありがとうという、意見を言わない、肯定する」
ということ。
なんだそりゃ、孫はそんな聖人君子じゃないぞ……
孫、絶句。
祖母に負けず口は悪いし、わがままだという自覚があるので、ますます困った。
とにかく、観察はしまくりました。
ブログを書かない代わりに、ノートを使って祖母観察日記を書き始めました。
そして、とにかく否定しないことと、意見を言わないことを徹底してみました。
祖母世代にとっては当たり前のことが、孫にとっては教科書に載っているようなものだったり、
孫にとって我慢ならないことが、祖母にとっては常識だったり、
祖母自身が痛みのために弱気になっているときももちろんあるし。
そんなとき、違いに興味を持つ孫の態度は、祖母にとっては苦痛だったようで。
さらに、声を低く発して、ゆっくりはっきり喋ることもケアマネさんからアドバイスしていただいて、とにかく祖母の前で穏やかな状態であることを心がけました。
高齢者の反応、特にイライラは一番側にいる人間の内面を写している、なんてことも本にあったから。
イライラしないでそばにいること、それが一番の対応。
もう、嘘か本当かわからなかったけれど、とにかくひたすらに、心穏やかであることを心がけました。
これ、マジで修行!!!!!!!!
なぜなら、祖母、本当に口が悪い。
なので、孫マジでキレそうになる。
いつもじゃないんですが、テンションの浮き沈みが激しい時期があり、その頃は本当にどうしたものか悩みました。
8月頭、どうしてもまだまだ上手くいかず、家族に愚痴ると、家族は困る。
家族の愚痴は、家族にしちゃいかん…ということで今度は愚痴になってしまうような解釈をするからだよな、ということで自分自身のメンタルケアに一挙集中。
ものすごく尊敬してい大学時代の友人2人から、
「大事な人なら、その人が幸せな楽しそうな状態で、ワクワクしているのが目に見えて分かったら、否定はしてこないはず。だからお前はやりたいことやれ」
と、いうようなことを言ってもらった。
この2人は孫にとって、本当宝のような友人。
そこから孫、ひたすら研究と称して図書館にこもったり地域の勉強会に顔だしたりとプライベート時間を過ごしていました。
もちろん、それができたのは、やっぱりなんやかんやで祖母がそこまで重度の認知症がある訳ではなかったからというのが大前提です。
でもこれをし始めた結果、びっくりするほど、家に帰ると穏やかモードになれるのです。
仕事から家に帰る合間、1時間でいいから、ときには30分でいいから、なければもう風呂でもなんでも、とにかく少しでもライフワークをする。
それから少しずつ、祖母の変なテンションは少なくなっていってくれました。
日記をつけているから、なんとなく傾向も見えてきて、明日は多分イライラしているな、とか。
この後、イライラするだろうから今ケアしとこうみたいなのが見えてきて。
そうしてとうとう、孫の不満を言いまくっていた祖母が、なんと自慢話に変え始めました。
ひとまず、孫、安堵……
高齢者と過ごすって、こんなに難しいんだと痛感。
それが大体、8月末。
そして、その頃に、市の高齢者支援のレベルが、先月要支援Ⅰから、要介護Ⅰへランクアップしました。
介護にそんな制度レベルとかあるんだ、とこのとき孫は初めて知りました。
(読んでた本が、高齢者の心理みたいな部分ばかりだったので)
そのため、祖母はデイサービスに週2日だったのが、週3日に増えました。
孫、これが一番嬉しかった。
なぜなら、祖母はおしゃべり基本大好きだから。
デイサービスの日はすごく楽しそうに一日が終わります。
また、農作業も好きなので、畑で働いた日もスッキリした顔になります。
孫にとっての伝承が、祖母にとっては人と会うことと農作業なのだろうなと思います。
それが、できるだけ祖母の意思で、できるだけ最期のその瞬間まで、続けられるような暮らしができたらいいなと孫は思います。
それを、そばで見ながら、時々祖母の昔話を聞かせてもらいたいから、だからここで一緒に暮らそうと、孫は改めて思ったりしていました。
悪口を言われるから嫌いになるのでもないけれど
ひどいこと言われたら「はあ!?」とはやっぱりなってしまう。
でもそれが原因で、出て行くとかともまた違う。
一緒に暮らすことに対しては、再び疑う気持ちなく、続ける気満々になりました。
ブログについては、やっぱりモヤモヤが残ったまま9月を迎えた訳です。
そして、ここにきて祖母、自分史を書き始めた。
なんでも、孫がしつこく祖母の昔の話を聞くから書いてやる、とのこと…
つまり、祖母は別にブログをしないでほしいと言った訳でも、
祖母のことを書いて欲しくないという訳でもなく、ただひたすら不安だっただけだったようで。
もし、否定的な言葉を言われたら、なぜその言葉が出てきたのか、
突発的なことなのか、感情的なことなのか、本心なのか、やっぱりちゃんと関係つくって祖母のことを想像しながら言葉をくみ取らないとなあと思った瞬間でした。
「老いてゆくとき、老いてゆく自らを使って、親はもう一度子育てをしてくれる」
という、とてつもなくびっくりするような言葉が書いてある本(典拠が何か、メモし忘れました…)がありました。
全力で「綺麗事じゃああああああ」というのが本音ですが。
もう、そうとしか言えないのが現状です。
祖母が見せてくれる、老いも死も、いずれ自分に来ることで
祖母が話すことも教えてくれることも、全部祖母の生き方そのもので
それが募って、ここの文化になっている。
死を感じながら生きることは、ものすごい。
祖母は、もう90近く生きたから平気、なんていうけれど、日によってそんなことはやっぱりなくて。
時には落ち込んでるし、でも時々すごく前向きです。
目の前に来ているであろう自分の死より、若い人が亡くなる方が悲しいと言える日もあれば、
やっぱり、体の老いを嘆き悲しみ同情してほしいの!!という日ももちろんあります。
でも、死ぬってことほど、こんなに平等にくるものはないなと、祖母を見ていて思います。
だって、こんなに必死なんです。
孫はいたって普通の健康なアラサーなので、やっぱり死はとても遠い場所にありました。
でも、明日、孫が事故って先に死ぬとも限らない。
死ぬということも含めての生きる姿を見ているんだ。
孫は今でも、祖母のことに関して「否定しない」「ありがとうをいう」「肯定する」「意見を言わない」をほぼ徹底しています。
流石に、体調がおかしい時は母に出てきてもらって、鶴の一声で病院へ連れて行きますが。
ものすごく長くなってしまいました。
もし、ここまで読んでくださる方がいたら、本当にありがとうございました。
ここまでちゃんと本心を書いてしまったので、不愉快に思われた方、ごめんなさい。
これからも孫と祖母の、ありきたりだけど、なかなか言葉で残ってない生活を綴っていこうと思います。
よろしければ、これからもどうぞよろしくお願いします。