おばばと暮らせば

瀬戸内海海域の中山間部に住む、90歳のおばばと孫の暮らし。おばばの言葉や思い出が面白すぎたので記録取っていくことにしました。

日常39 孫とちょっと怖い話

 

 

手術前、外科なんだから問題ない、茶でも飲んでこい。

なんて余裕なことを言っていた祖母。

 

手術後、枕が違うから眠れない。

なんて繊細なことを言い始めた祖母。

夜行バスでも爆睡な孫はびっくりしつつも、家中にある祖母の「枕」を持っていった。

昼寝用、ベッド用、テレビ用…

結局選ばれたのはテレビ用。

 

それを敷いた夜は眠れたのかな?

 

「枕じゃない、場所が変わったから眠れなかっただけ」

 

なんて、強がり言っている。

 

 

 

 

そんな祖母の入院生活は、なんやかんやで順調みたい。

ご心配してくださった方々、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

さて、祖母が入院しているということは、孫はこのド田舎で一人暮らしをしているわけで。

 

 

 

古いお家なもんで、そりゃあもう色々と不気味だったりする。

 

 

 

まだ梅雨も明けきらない、時季外れな感じも否めませんが、今日はちょっとだけ怖い話。

苦手な方はごめんなさい。

得意でヤッホーとなった方、ごめんなさいそんなにガチの怖いやつじゃあありません。

 

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内容と関係ないけれど、なんだかとっても凛々しいカエルくん。

 

 

孫はそういう、所謂「おばけが見える人」ではない。

友人のお陰でホラー映画を笑いながら見てしまうような感性の人間。

 

 

別に何かが出るとかいうものではない。

ただ、ひたすらに家が喋っているように「家鳴り」がすごい。

ギシギシ、ピキピキ。

建築をしている従兄弟曰く、耐震は結構やばいらしい。

そういう意味でも怖いのだけど、まあひたすらに家が喋っているように聞こえる。

 

それが時々、笑い声みたいに聞こえる。

よくある不気味なやつだったら孫だってこんな悠長にせず、海辺の実家へ即刻避難している。

時々聞こえる笑い声、それは複数で、かつ宴会みたいなんだ、これが。

 

和室、それも仏間。

お盆とか、正月とか、法事とか、そういうときに親戚が集まってどんちゃんしている、

そういう場面を思い出す感じ。

だから、ひたすら楽しそうでびっくりする。

もちろん、テレビはついていない。

ラジオだってない。

よくよく耳をすますと、ただの家鳴りだってわかる。

 

場所が、たまたま人が集まる仏間だったから、そういうイメージで聞こえてきてしまっていたのかもしれない。

だからなんとなく、ちょっとだけ微笑ましく思えてしまった。

いつだったか、みんなが集まってワイワイしている記憶と重なるからかもしれない。

 

 

 

お風呂場も、よく喋る。

こっちは本当にラジオみたいな音で、しかも少し周波数があってないような、言葉が明瞭に聞こえない感じ。

流石に不気味すぎて、どこから聞こえるのか耳をすませてみたら、

なんと洗濯機のホース。

水が出て行くときの音が、喋り声にそっくりだった。

怖いというか、拍子抜けというか、恥ずかしいというか…

 

 

 

 

そんな感じで、1人だとえらく音が大きく聞こえる。

しかも、生活臭溢れる音。

 

 

 

そういう気がするだけなので、実際は何もいないし、何も出ない。

でも、時々、台所の重たい引き出しが勝手に開いたり、何かが何かを引きずる音を聞いてしまうと、何かがそこにいるんじゃないかと想像せずにはいられない。

 

 

想像と現実が一致した瞬間が一番怖い、と、孫は思う。

 

 

 

屋根裏には野生の生き物が自由自在に入っているし、引き出しの中もものがパンパンだったり、全然不思議じゃない理由がちゃんとある。

 

だいたいは想像力で怖くなっているだけで、映画とさして変わらない。

むしろ熊とかイノシシの方が怖い。

 

 

 

 

 

 

それでも、わけもわからず怖くて仕方がなかったこともある。

もちろん家の中じゃあないけど。

 

 

 

 

 

家の近くに神社がある。

よくある神社と同じで、そこ一帯は木がいっぱいで、林というか薮のようになっていて、その先に橋がある。

橋はこの集落が隣町へ向かうために絶対通らなくちゃいけない場所、というか毎日通って孫は出勤している。

 

その薮が、怖かった。

それもなんでか、その橋に近ければ近いほど。

 

祖母の家に行くには、必ず通る。だから、絶対ずっと毎日怖いわけではなかった。

ただ、一度、父と弟と散歩でその辺りをふらふらして、父がぐんぐんその薮に入って行くのが、怖くて仕方がなかった。

 

怪談とか、映画ならこのあと何かがあるんだろうけれど、現実で、しかも霊感を持たない人間なもんでそういうストーリー的な展開には一切ならない。

ただ、あの場所に踏み込む必死に父を止めていたなあ、という記憶だけがあった。

子どものときのことなので、今はもう全然さっぱり怖くない場所だから、その感情も記憶もほとんど忘れていた。

 

 

 

それを思い出したのは、祖母に曽祖母の話を聞いていたとき。

 

 

「あそこは明治ごろ、火葬場だったんで。あの橋の方。私もおばあさんから聞いただけじゃけえ、見とらんのじゃけど」

 

 

 

おばけは出ない、幽霊も見えない、ポルターガイストだって起きやしない。

でも、現実の情報がないのに「怖い」という感情が湧き上がった。

「死」が関係しているものっていうのは、どうも「恐怖」と結びつきやすい。

 

 

 

想像と現実が一致したら、それはちょっとだけ怖い話じゃないだろうか。

 

 

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違う場所だけれど、里山のこういう雰囲気は何かがいるような気がする。実際、動物たちがうじゃうじゃしていて人間の方が間借りして暮らしている気分になる。