おばばと暮らせば

瀬戸内海海域の中山間部に住む、90歳のおばばと孫の暮らし。おばばの言葉や思い出が面白すぎたので記録取っていくことにしました。

日常40 祖母の退院と、その後

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撮影:妹



 

お久しぶりです。

ブログ、ご無沙汰しておりまして、いろんな方から心配してくださる言葉から生存確認までご連絡くださりありがとうございました。

 

祖母も孫も元気です。

祖母は無事に退院しました。

 

 

 

 

 

入院生活、祖母はとても順調だったようで、本を10冊読んじゃったくらい。すごい。

祖母曰く、


退院しても通院しなくちゃいけないし、腕使えないからなにもできないから、このままここで大人しくしておく、というとこで、予定通り10日ほど入院。

 

そこらへん、すごく潔くって有難い。

 

 

 

という訳で、その間、孫は絶賛1人暮らし。

シェアハウスやら住み込み仕事ばかりしていたので、実はそんなに一人暮らし歴がなかった…ので、めっちゃ羽を伸ばしまくっていた。

ブログを更新する余裕がなかったんじゃなく、めちゃくちゃ自由にしておりました。

そのツケみたいに、祖母の退院後、怒涛のトラブル。

 

 

 

 

祖母退院後、孫、謎の発疹。

巷で流行っている手足口病かと大慌て。祖母に移して、死因が手足口病とか洒落にならない、ということで孫一時実家へ隔離。

 

そのまた翌日、レベル4の災害警報発令。

祖母を置いて、孫だけ実質避難状態。

 

 

孫の発疹も被害もほとんど何もおおごとにならず、良かった良かった。

 

 

その後も、町の理事会に参加して町の人たちの方言に1人仰天していたり、

おじいちゃん達の山里研究会(この地域は、かつて「山里」呼ばれていた時期があるため、そこからつけたよう)に参加して山道を車で爆走したり、

神社の若手神主さん達の勉強会に参加したり…

なんだか夏休みのような1週間を過ごしていた。

 

 

 

 

さあひと段落ついたーと思ったら、今度は冷凍庫の中身が全部半解凍……。

 

 

 

孫と同じ年に製造された冷蔵庫。

そろそろ寿命かもね、なんて言いつつもずっと動いてくれていた冷蔵庫。

春に溜め込んだ豆や葉物がまだまだたくさんあった冷凍庫…

 

こうなってしまってはしょうがないので、今度は冷蔵庫の調達。

流石にこれだけはもう待ってはいられない。

 

台所が土間だった時代からあった冷蔵庫なので、扉も開けにくい仕様。

孫より10センチも身長が高かった祖母は、腰が曲がって今では一番上の冷凍庫を開けることができない。

 

それら全部を加味して、新しい冷蔵庫(ちょっと小ぶり)を購入!!

店員さんと母(祖母からしたら嫁)と孫の3人が、腰を曲げて冷蔵庫を開け閉めする風景はとてもシュールだった…

 

 

 

孫とほぼ同じ時間分生きていた冷蔵庫は、なんだか名残惜しいけれど、最後はちゃんと送り出そう。とか、ちょっとセンチメンタルなことを思っていたけれど。

 

どけてびっくり。

 

ネズミの白骨死体発見。

 

 

尾道の移住生活の漫画『0円で空き家をもらって東京脱出』をなんだか思い出しちゃった。

ネタバレになるので詳細は伏せますが、里山・田舎で暮らすってこういうことかあと改めて実感。

 

お骨は畑の一番隅っこへ。

うちはなんでも畑へ持っていく。

捨てるっていうより、土を作る感じ。

油も、庭に捨てる場所がある。

生ゴミは専用の場所がある。

祖母がいない間、草はさすがに刈れなくて絶賛茂り中だけど。

田舎の家暮らし、なんとか少しずつ祖母の暮らしを辿りながらやっている。

 

 

 

そんなこんなで、祖母との生活、新しい冷蔵庫とともに再スタート。

梅雨も明けた。

夏もきた。

ブログもぼちぼち再開。

よろしければ、年の差60歳以上の祖母と孫の生活にお付き合いくださいませ。

 

 

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30年、ありがとう