日常6 ある日の午前中。
朝起きて、おはようよりも先に祖母から一言。
「今日は何出?」
私の仕事はシフト制なので、日によって早かったり遅かったりする。
遅い日は午前中いっぱい家にいることができるので、そういう日は5月は大体祖母の畑仕事の助手になる。だから私の出勤時間を「早出」か「遅出」かをいつも気にしている。
祖母の頭の中は、常に畑と庭と田んぼでいっぱいだ。
「今日は水やりからやってね、その後さつまいも植えるけえね。ぶどうに水やってね、あ、イチジクも。スイカとかぼちゃはあれで水やってね、あれ?あれじゃあれ、ほんま言葉が出んなったわ。あ、ジョウロじゃ、ジョウロ。それで水やってね。でもベリーはバケツでええよ、イチヂクもええよ。それから…」
という感じで一日の説明が始まる。
覚えられません……
自分よりもボケてちゃやれんぞと言われる私に、誰か同情してください……。
どこに何を植えていて、次にどうすればいいのか見通しが立っている。
背中を曲げて、一動作ごとに休憩が必要なくらい体は年寄り。
でも、頭の中はまだまだ現役みたい。
一通り水やりをして(覚えられないのでいちいち聞いてその度喧嘩する始末)、さつまいもを植える。
いとこの子どもたちがいつだったか掘りに来て楽しそうだったと教えてくれる。
話を聞きながら、私は子どもの頃に掘った記憶よりもこうやって苗を植えている記憶しか出てこなかったので、自分が育てたものもしくは植えたものを食べたことがないのかもしれない。
今年は私もこのさつまいもたちを美味しくいただく予定。
最後に畑の野菜たち全部にホースで水やり。
「昔は全部自分で作っとったんよ、何もなあ(ない)けえね、自分でこさえんと(作らないと)。朝百姓して、仕事に行きよったのにねえ、今じゃあひとつ(一種類の苗を)植えるので朝が終わる。ダメんなったねえ」
祖母はこうやって少しずつ本当に少しずつ、できなくなっていくことを時々嘆く。
昔できていたことを、夢見ていたように話す。
歳のわりには健康で、元気な人だから忘れそうになるけれど。
なんとなく、死ぬ準備をしているんだろうと思った。
とても、丁寧に。
ひとつずつできなくなって、ちょっとずつ忘れていって。
祖母は死ぬよりもできなくなることと忘れることが一番怖いという。
私は、やっぱりまだ、この元気な祖母が冷たくなることを想像できない。
だから、まだもう少しこのままこの頑固で口悪い祖母のそばで、時々喧嘩して過ごしていたい。
ここ数日日照りが続いたので、祖母の水やりは30分くらいかかった。
最後、小さな虹ができた。
虹の下には宝物があるらしい。
その宝物は、秋には実ってくれるはずで、また祖母と喧嘩しながら掘る予定。
できれば、来年も再来年も、5年後も10年後だって、そのつもりで私はいる。