おばばと暮らせば

瀬戸内海海域の中山間部に住む、90歳のおばばと孫の暮らし。おばばの言葉や思い出が面白すぎたので記録取っていくことにしました。

日常1 朝からお茶づくり

 

 

バチバチ言うまで煎りんさい」

「これでええ?」

「あーもうボロになっとるじゃないね」

「えー」

「量がすくないけぇよ」

「そんなのわかんないよぉ」

「ほれみ、全部粉々じゃ」

………(ふてくされる私)」

 

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茶葉と煎るときの道具

 

しょっぱなから喧嘩のお茶づくり。

庭にあるお茶を祖母がつんだのは昨日のこと。私が帰ってきたら明日の朝一でお茶を煎ると言われた。

大きな鍋にやわらかい新芽をどさっと放り込み、最初は手で混ぜ、暑くなったらしゃもじで混ぜる。それも力一杯。祖母が現役の頃は、出勤前にしていた作業。

お茶の葉を煎る作業ひとつまともにできない、いちいち何かの動作のたびに質問する私に、茶摘みの歌を歌って教えてくれる。

「夏も近づく八十八夜ちゅう歌があろう? あの通り、八十八夜ごろにつむんよ」

 

煎ったお茶っぱを、今度は蓑の上に広げて揉む。

右に左に「ソ」の字を書くように、行ったり来たりして100数えるのだそう。

蓑は何年も使っているせいで茶渋色に染まっている。

その蓑ごと、玄関の日当たりが

いい場所へ1日置いておく。

今日の仕事はここまで。

 

5月に入ると田植えの準備やら草むしりやらで忙しい祖母。

毎日やらねばならぬことがあれよあれよと増えていく。それと同時に、祖母は生き生きとし始める。冬の間できなかった草いじりと一年の食べ物の準備が、生きるための準備だからだろうか。

 

生きるための暮らしはものすごい重労働。商店のない田舎だとなおさら。

背中の曲がった祖母は一動作ごとに休憩する。

それでも毎日、今日はあれした、これした、これができなかったから明日はこれしてからあれだと、忙しそうに、でも楽しそうに話してくれる。

祖母と暮らせば農作業が一緒についてきた。

 

私はまだまだ農業初心者、百姓0歳なので、まずは水やりから。

朝起きてまず田んぼへ水を入れる。

ご飯を食べたら、祖母が水を持って行き難い、ベリーやらいちじくやらぶどうへ水をやりにいく。ついでに夕飯用に菜っ葉をつむ。

 

そんな私の足元には、一昨日祖母が殺したムカデの無残な死骸がある。最初は叫んでいた私もやっと叫ばなくなってきた。

その死骸を、アリがせっせと巣へ運ぶ。あと数日もすれば、ムカデはそこから自然となくなるだろう。

 

 

日差しが強くなる前に、それらを終わらせて私は仕事へ出勤


祖母は今日も畑へ。

お茶の葉は、まだまだいっぱいある。今年の葉っぱを全部煎り終わる頃には、私一人でもできるようになっていたらいいのだけど。

 

 

手を鼻に近づけると、若い抹茶の香りがした。