おばばと暮らせば

瀬戸内海海域の中山間部に住む、90歳のおばばと孫の暮らし。おばばの言葉や思い出が面白すぎたので記録取っていくことにしました。

日常43  おカラスさんのこと vol.4

今日はおばばのお話はお休みです。

このタイトルの日は、孫の趣味を思う存分語る回とさせていただいております。

 

 

 

お久しぶりに、趣味コーナーです。

今日は、7月に満喫したお祭りをご紹介。

 

 

 

祖母と孫が住む場所は、車を飛ばせば瀬戸内海まで約1時間の場所。

その瀬戸内海に浮かぶ有名な島の一つ、宮島。

ここ、宮島の厳島神社には日本三大船渡御のひとつ「管絃祭」あります。

 

孫の母は、宮島の対岸出身者なので、子どものころは「管絃祭だから宮島へいく」という風習があったそうです。

孫の記憶には、すでにそう行った習慣はなく、気にはなっていたけれど、今まではなかなか行けなかった管絃祭。

しかし、今年は違う!

何と言っても、孫の住むエリアはかつて厳島社領だった場所。

今年行かずしていついく!!!!

 

というわけで、旧暦6月17日である7月19日、行ってきました、「管絃祭」!!!

 

 

 

 

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管絃祭!!!!



 

 

 

 

日本三大船渡御と言われても、実はあまりピンと来なかったのが、孫の本音です。

簡単にいうと、お祭りの行為の一つ。

お神輿さんのお船バージョン。

厳島神社の「管絃祭」も管絃船という船に神様が乗られて、対岸の地御前神社へ向かわれます。

 

空鞘稲生神社さん(広島市)曰く、一つは大阪天満宮天神祭、もう一つは松江ホーランヤだそうです。

 

詳しく知っている方がいたら、ぜひ、教えていただきたいのですが、

とりあえず、孫が行ってきた厳島の「管絃祭」について。

 

名前の通り、雅楽が船に乗り込みます。

由来に関しては、実はこれ、はっきりとわかってはいません。

というのも、今現在この祭りのスタートを明記している資料を見つけてられていないのです。

 

一番よく言われている説は平清盛公。

厳島神社社殿の建立から、ここでの年中行事へ多大な影響を与えた平安時代の人物です。

厳島神社に現存している楽器・古文書等から、厳島神社の楽舞が平清盛時代に起源すると想定されているため、管絃祭の母体も平清盛公が都の文化を輸入したとする説が定説となっているのです。

だから、ほぼ、平清盛が由来とされるお祭りとして多くはご紹介をされています。

 

 

さらに(孫にとって)面白いことに、この「管絃祭」は明治の神仏分離令以降と以前で船が巡る順番が異なったり、船の装飾も変わっています。

(孫にとって)興味深いのが、「厳島神社の特殊神事管絃祭」(『廿日市の文化』第5集所収、1965年12月、廿日市町郷土文化研究会)に、

 

「御神霊を慰めるという外に御風輦(ごほうれん)を御船に移して渡御の形式とした」

 

とあります。

神仏分離令という変遷する時代の中で、祭りを生き残らせるための先人たちの知恵と努力が垣間見えます。

 

つまり、現在の「管絃祭」は、神様がちょっと社から出ていつもと違う場所へ行く「神幸祭」というイメージが強いのですが、

かつて、少なくとも明治以前は、御霊や御神霊を慰めることを目的としたものであったのではないか、と推測されています。

 

時季も、夏。

さらに、月明かりの海上に行われる。

ちょっと大雑把かもしれませんが、それらからも神様のお散歩というよりは、感覚的にはお盆に近いようなものだったのかもしれませんね。

 

 

また、厳島神社における「管絃祭」の特徴は、なんと行っても、船の歴史!

 

 

もともと、管弦船は単独操作で巡航していました。

しかし、時は戦国。

ある年の祭りで、風が強くて転覆しそうに。

その時! 阿賀村(現在の呉市)の漁船二隻が救難。

さらに、江波村(現広島市)の救難船まで出動。

まるで、市杵島姫(厳島神社の神様)のボディーガードさながらな漁師たち。

この、ちょっと少女漫画の冒頭みたいなエピソードがあって、お祭りは滞りなく行われたという故事があり、それから祭りの漕ぎ船を両村が担うことになったと言われています。

宮島のHPに詳細がありますので、よろしければご覧くださいませ。

→宮島観光協会HP(http://miyajima.or.jp/event/event_kangen.html

 

 

そんなボディーガードな漁師たちの子孫が、現在も管弦船を唯一引っ張る事を許されているのです。

 

宮島の島民たちも、この日は宮島の祭りというよりは、

「呉や江波の人らの祭りじゃけえね」

と、言われるほど、彼らが主役のお祭り。

 

 

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阿賀船と江波船が引っ張るのが、管弦船。



 

 

お祭りの説明はこのくらいにして、孫のフィールドワークの報告。

宮島でお世話になっている方々から、ことごとく

「これはカラスの祭りじゃないよ?」

と、声をかけられる孫。

「カラスの人」と覚えられるのは、嬉しいような複雑な気持ち…

 

今回は、広島市内に鎮座されている空鞘稲生神社さん主催の管絃祭奉拝行事に参加させていただきました。

 

この空鞘稲生神社さんは、管弦船を引っ張る船の一つ江波の船が、祭り前日に参拝に行く神社さん。

 

来年はその行事も見に行きたいなあという思いが一瞬脳裏を横切りましたが…

体力が持たない自信しかない……

というのも、管絃祭はものすごい長時間を必要とするからです…

 

 

午後15時ごろから厳島神社本殿にて出発のための神事をします。

そして、潮が引いている間に本殿から歩いて、大鳥居沖に停泊させている船へ、御風輦を船に運び入れ、潮が満ちたら対岸地御前へ向けて出発という流れ。

 

が、しかし。

 

なんと、潮が満ちないというアクシデント。

お潮様、ご機嫌斜めにもほどがある、というくらい、満ちない。

 

瀬戸内海に住んでいる人にとっては普通の光景なのですが、この潮の満ち引きが入れ替わる瞬間、海は静かに止まります。

これを凪というのですが、本当にピタった止まって、潮の流れが目に見えて変わっていきます。

凪いでいる瞬間、空気もなんだか止まっているような気がしてしまう。

「雨が降ると潮が動く、雨が上がると潮が止まる」

一緒に船に乗っていた方そう呟かれたのと全く同じ。

この日はあいにくの雨だったのですが、潮が引いている間はずっと雨。

そして、雨がピタッとやむとようやく潮が止まりました。

 

予報されていた満潮時刻や干潮時刻より、その言葉の方がずっとわかりやすかった。

 

フィールドワークに行っていおもしろいのは、こういう地元の生きた言葉を聞けることかもしれません。

 

もともとの出発予定時刻から1時間ほど遅れて、ようやく潮が満ち始め出発。

 

本来の予定なら、この時点で船を降りなくては行けなかった孫ですが、神社さんのご好意でそのままもう少し船の上から管弦船を拝観させていただきました。

船をこぐ、男衆の掛け声と、太鼓の音。

波をかき分けながら進む船の軌跡。

それら全部が目の前に飛び出してくるかのような迫力。

平安時代の絵巻物がそのままここに再現されているような雅さ。

 

孫、令和元年一番感動いたしました。

 

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先頭にお神輿

 

 

 

途中で下船し、孫は対岸地御前神社前へ先回り。

空鞘稲生神社さんを紹介してくださった方々と合流して、管弦船を真正面からお迎えできる場所で参拝することができました。

 

孫、この日一番感動いたしました。

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真っ暗な海から浮かびあがってきたかのように見る管弦船。迫力すごかった。



 

 

 

しかし、この祭り、まだ終わりません。

この時点で最初の本殿から約6時間経過。

ここから、再び宮島へ戻ってクライマックス、江波船の男衆たち腕の見せ所なのですが…

 

孫、今年はこの地御前神社にてリタイアいたしました。

 

最後までいようと思ったら、島から出ることができなくなる祭りです。

深夜0時が終了予定。

 

自然相手の祭りになると、何が起こるか予想できない、それもまた醍醐味ではあるのですが、体力がついていかなくなってきたのが目下孫の悩みです。

 

 

 

 

 

安芸の宮島、一度は見たい管弦船。

ぜひ、ご縁がありましたらご参加ください。

個人的には、一生に一度、死ぬまでに見たい景色の一つ。

 

 

 

 

現代に続く、平安絵巻のお祭りは、ここ瀬戸内海ですごく大事な行為の一つです。

 

 

 

 

さて。

ここまで読んでくださった方々ありがとうございます。

おばば、最後に登場です。

 

管絃祭はここ里山でも厳島神社由来のところでは行われています。

そして、農家で里山暮らしの祖母たちは、管絃祭が終わったら田んぼに入っちゃいかんのだそう。

 

田の中の草を抜く作業は、それまでに終わらせるとのこと。

 

管絃祭は、船の行事なので海が舞台です。

でも、ここに暮らす人たちにとっては、重要なのは場所ではないようです。

管絃祭が行われる季節、というのがもしかしたら大事なことなのかもしれません。

 

去年は中止となってしまった管絃祭ですが、今年は無事行われました。

意味も由来も、時代によって柔軟に変えて残ってきた行為。

令和の時代も、人の生き方に寄り添って、伝え残していくのでしょう。

 

 

 

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地御前沖で、地元の人たちが