日常46 祖父と原爆
祖母のダーリンこと(最近、本当に祖父のことをこういう…どういうテンションなんだろうか)孫の祖父は、大往生だった。
88歳で亡くなったとき、祖父の歯は一本もなくなっていた。
でも、真っ白な髪はフサフサ、本当にフサフサ。
ボケるまでヘビースモーカーで、お酒も毎日たくさん飲んでいて。
それでも内蔵はとても綺麗だったそう。
不思議だ。
最期の10年は、ボケてしまって、祖母がとても大変だった。
孫世代に関してはほとんど覚えていなかった。
ただ、孫が会いに言ったとき、「汽車ぽっぽ」と言われたことは、今でも家族のネタになっている。
西日本を走る某新幹線と孫の名前が一緒なものだから、なんとなく印象に残っていたのだろう。
でも、新幹線なんてのも、きっと祖父にとってはとても近未来的な乗り物だったのだと思う。
祖父世代の人たちは、みんなJR線を走る電車のことを「汽車」と言う。
「電車」と言ったら、それは市内を走る路面電車のことで、文字通り「電気の車」、という認識だったのかもしれない。
今も、街には車と一緒に路面電車が道路を走っている。
祖父がボケて、孫のことを「汽車ぽっぽ」と言ったのも、「なんだかとても未来的な、ハイカラな乗り物と同じ名前だった孫がいた」という記憶が多少なりとも残っていたのだろうと思うと、ちょっとだけ、孫にとってはしょうがないなあと思えてくる記憶だ。
祖父の腕は、引きつった皮膚に覆われていた。
日に焼けて、ピカピカ光っていたのを、今でも覚えている。
比喩でもなく、本当に光っていた。
孫自身は、日に焼けたところでそうはならない。
どうしてなのかと疑問に思ったことはなかった。
ただ、ツルツルして気持ちがいいなあ、と思っていた。
隣に座れば、いつもその腕を触っていた。
そのとき、されたままになっていた祖父は何を思っていたのだろう。
あの日、70数年前の、今日。
祖父は、建物疎開のために市内へ出ていた。
陸軍だったので、それが仕事だったのだと、言っていた。
孫が10歳のとき、最初で最後、生前の祖父が一度だけ、話してくれた。
孫が気持ちいいなあと思っていた腕は、飛んできたB29を見上げた時に、ちょうど顔を庇うような仕草になっていたそう。
その直後、腕の皮はずりむて、おばけみたいになったと、自分で言っていた。
死ぬと言われたから、お母さんが白米を食べさせてくれたそう。
ここまでが、孫が覚えている祖父の話。
小学生のとき、原爆について家族に聞く、と言う宿題が出ていた。
子どもながらに、聞いていいことなのか、と躊躇したのは覚えている。
祖母の家、テレビのある和室。
そこにまだソファーがあったとき。
一緒に並んで座って、「宿題なんだけど」と言い訳のように切り出した。
私を見ないで、話す祖父の斜めの顔と、言い方を迷っているような声音。
原爆について、正直あまり話してもらっていない。
ただ、祖父の話したくない、と言う気持ちはものすごくよくわかった。
それでも、話そうとしてくれた祖父だから、それが言葉にできないほどの記憶というのだけは、身にしみた。
だから、今もそのときの話している場面の映像が、ものすごくリアルに残っている。
ただ、小学生の頃の記憶だから、間違えて覚えていることもあるかもしれない。
ここからは、後になって祖母が話してくれたこと。
陸軍だった祖父の連隊は今の白島あたり。
警戒警報が直前に出ていて、それが解けてすぐのことだった。
飛行機が飛んできて、疑問に思って空を仰いだ。
空は晴れていて、ただでさえ眩しかったのだろう。
終戦を迎えるまで、祖父は陸軍として、市内で作業をしていた。
廃材を積んで、人を運んで、燃やして。
「穴掘って、えっと運ばれてくる人間を焼いた、廃材をつこうて焼いた、まだ息のあるもんももうすぐこと切れるけえって焼かされた、思い出したくなあっていいよった」
祖母が思い出しながら話す祖父は、自身も火傷で相当しんどかったはずなのに、体の痛みではなくて、生き残ったあとの作業ばかりだった。
その後も、白血病になったこともあった。
それでも、祖父はあれから60年生きた。
「あれはいけん」
祖父は戦争について、それだけしか言わなかった。
多分、言えなかったのだろうと思う。
言葉にできなかったのだろうし、したくなかったのだろう。
孫は、当事者ではない。
だけど、祖父の話を直接聞いてしまった。
それも、たった一度だけ。
祖父の腕は綺麗だったし、めっちゃ怖い人だった。
祖母は、原爆のことも聞いて、祖父の経験も知って、最期に祖父を看取った。
祖父はボケて、最期は祖母にもう一回プロポーズしちゃうような人生だったし。
祖母も最近ボケてきてて、そのエピソードをもう何十回もしている。
さすがに孫も、そろそろノロケ話に飽きてくるくらいだ。
これは、どっちも同じ世界の話だ。
原爆もプロポーズも、この世界に生きる同じ人間の人生にあったこと。
遠い世界じゃなくて、ここにつながるちょっと先の延長線にあったこと。
ものすごく極悪人がいて、出来上がった歴史というわけでもないし、
ものすごいヒーローがいて、今の時代があるわけでもない。
炭と血がこびりついた大地で、それでも生きていこうとした命があったからある時代だ。
身内が死んで、自分も体の何かがなくなって、家だってなくなって、それでも人を好きになるし腹は減る、そうやって生き抜いてくれた人がいたから、ある今だ。
孫は、ただ話を聞いただけ。
だけど、孫もその世界の延長線にいる。
同じ世界の中にいる。