おばばと暮らせば

瀬戸内海海域の中山間部に住む、90歳のおばばと孫の暮らし。おばばの言葉や思い出が面白すぎたので記録取っていくことにしました。

日常45 おカラスさんのこと vol.6

 

 

今日も孫趣味。

孫、石仏をみる。

 

 

 

 

 

 

孫が入らせていただいた「山里研究会」

平均年齢いかほどか…

杖や補聴器をつけた、人生の大先輩たちとともに、向かった先は「羅漢山

 

この山は、広島県山口県の県境にある山です。

山口県側は、県立自然公園となっており、キャンプやコテージ、牧場なんかもありました。

 

7月末にいったのに、満開の紫陽花。

 

 

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紫陽花



 

標高1109mの羅漢山へ、昭和6、7年頃から地元住民によって石仏が寄進されました。

その数、八十八体。

お土地柄、四国八十八か所による影響が過分にあります。

 

四国のお遍路をリスペクトし、八十八体の石仏には番号を刻み、道路・県境・防火線沿いなど、山を往来するための箇所へ安置された、と報告書にはあります。

 

さらに、この石仏さんたち。

何が面白いって、安置場所が当時とめっきり変わっているのです。

 

というのも、周辺集落で若い男女が結婚した際、村の人が山から持ってきた石仏を2人で協力して元に戻す、なんて風習がありました。

 

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道の脇にある、一体の石仏



 

 

いくら風習とはいえ、

「わー嬉しい、私たちの初めての共同作業だわ、なんて楽しいのかしら」

なんて、思うカップルがマイノリティだったであろうことは、いうまでもなく。

 

そのうち、運び下された石仏は、集落から山への入り口付近へ安置されるようになったそう。

そんな感じでええんですか!?と突っ込みたくなる気持ちもありましたが、

孫だって、もし運べと言われて喜んで、なんて……いやあ孫は喜んでやってしまいそう…

 

孫の妄想は置いときまして、

この石仏さんたち、場所はバラバラ。

どこにどうなっているのかほとんど分からなくなっているものを五十体近く見つけ出したのが、この山里研究会の先輩方なのです。

 

 

杖をついて、補聴器つけて、お花を時々つみながら、ゆっくりのんびり進んだ先に、

羅漢山地蔵尊群で一番大きく立派な石仏へ案内していただきました。

 

 

二体だけ(現在把握されている中における)、大きな岩に彫られたお姿の石仏。

当時、多くの人が憧れた四国八十八箇所を、きっと歩いた人がいたのでしょう。

そして、この場所も、きっと多くの人たちにとって信仰の対象だったのでしょう。

 

 

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彫られた石仏



 

 

 

 

かつてこの山に向けられた信仰の対象は、今、少し違った形の魅力を放っているような気がします。

おじいさまたちにとって、それはたとえ杖をついてでも、登って確かめたいもので、

それは多分、孫の気持ちとも似ているような気がします。

 

 

 

単に知的好奇心といえば、簡単なものですが、

そこにかつて生きて、暮らした人々の、知識や技術を盛り込んで切り開いてきた空間。

それは今、再び自然の中へ埋もれている途中です。

過疎化が進み、その土地にあった暮らしの中の習慣は、記されることがなければ、まるでなかったかのように自然の中へ埋もれていきます。

 

 

孫が尊敬している人の1人、写真家の星野道夫さんが、生前に撮影された写真に、自然の中に取り込まれていくトーテムポールがあります。

 

それに対して星野さんは、「人間がいなくなり、自然がすこしずつその場所を取り戻してゆく風景」で、「”ああ、そうなのか”というひれ伏すような思いだった」と、記しています。(「coyote No.59 特集 星野道夫の遥かなる旅」より抜粋)

 

 

森の中、集落から人々が減って行き、それでも残り続ける石仏たちは、星野さんが見た異国のトーテムポールと同じものだと、孫は思います。

 

地蔵群は、そこに人の暮らしがあったことを無言のうちに語っています。

でも、巨石に彫られた石仏に苔が生えている様は、自然の中へ文化が帰ろうとしてるように見えました。

どこにあるか分からない無数の石仏たちは、かつてそこに存在していたとわかっているからこそ、神でも仏でもなく自然へ帰り着いたものたちのようで。

 

 

今、そこにある苔をまとった石仏たちに感じるものは、確かにひれ伏すような感覚かもしれません。

 

 

 

大先輩たちは、この石仏たちを探したときのことを楽しそうに語ってくれました。

牧場の中を探し周ったこともあったそうです。

流石に、もうみんなで探しまわることは難しそうですが、カラスのことだけじゃなくて、大先輩たちが大事にしてきたものを、私も大事にしていきたいと思うには、十分すぎる時間でした。

 

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参考文献

羅漢山地蔵尊調査報告書」山里の歴史を知ろう会(現:山里研究会)、平成26年