おばばと暮らせば

瀬戸内海海域の中山間部に住む、90歳のおばばと孫の暮らし。おばばの言葉や思い出が面白すぎたので記録取っていくことにしました。

日常26 おカラスさんのこと vol.3

 

 

おカラスさんのことシリーズ第3弾。

でも、今日はおばばも登場します。

 

 

 

 

 

 

 

 

  • ※こちらの内容は、普段の祖母ではなく、孫の趣味である伝承調査について考えていたり感じていたり、時にはめんどくさいような気持ちをツラツラ綴っているシリーズです。ほんの少しでもご興味を抱いていただければ幸いです。よろしければ、vol1,2を読んでからvol,3をご覧ください。初回のおカラスさんの内容を含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(曽祖母の)お葬式で団子をお供えして、カラスが食べたらいいち言いよったで」

という言葉を聞いてから、孫の頭にあったのは、そこどこですか?ということ。

 

火葬したときに団子を備えたその場所に、行きたいという孫の願いを祖母は聞いてくれました。

 

 

というわけで、行ってみました。

かつての火葬場。

 

 

「火葬場」という単語だけ聞くと、なんというか感情としては「怖い」というものがついてきそうなものですが、孫にとっては曽祖母ゆかりの場所。

会ったこともないけれど、自分が産まれるために欠かせなかった曽祖母と思ったら、なんだか「嬉しい」ような、本人に会いに行くような、そんな気持ちでした。

 

 

仕事終わりに、祖母と(たまたまいた)妹を(半ば無理やり)乗せた車で出発。

 

 

 

祖母の記憶だけが頼りのこのフィールドワーク(と言っていいのか)。

 

祖母は、この土地の半世紀を見てきたことになります。

あそこには中学校があった、

ここも火葬場だった、

この道からこっちがうちら方の村、

川より向こうは違う、

などなど、車内では看板にもなっていないような情報が後から後から祖母の口から出てきました。

 

 

祖母にとっては思い出巡りのような感じになっていたのでしょうか。

 

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道中、キジ発見。



 

主要道路から外れて、車道が続く限りひたすら登っていきます。

祖母曰く、野辺送りといっても車で火葬場まで行ったようです。

ここの記憶、そろそろ曖昧になっているのかもしれません。

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両脇の木がものすごく生い茂っていた。



両脇草だらけの道が、徐々に林まみれになり、かろうじて車の轍が残る道を車で進むこと約5分。木々が車にあたる音にビクビクしながら進んでいくと、木が減って道幅が急に広くなり、左手には広場と長い煙突をそのままにしている廃墟。

 

 

「おお、ここじゃここ」

 

祖母の言葉に慌てて左折し、広場のど真ん中に停車。

 

 

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かつての火葬場。

 

 

一番奥に、碑が立っており、脇にはそれぞれの字名が記されたお地蔵様。

そして役目を終えた社のような建物。

どこに団子を置いたのかは、覚えていないとその場で祖母は言いました。

後で落ち着いてゆっくり話を聞こうととりあえず写真を撮って車内に戻ると、祖母から一言。

 

 

 

 

 

「誰かが、少し前まで草刈りしよられたんじゃねえ」

 

 

 

 

 

そう、野原一面、草は生えているけれど、まだここが「火葬場」だったことがわかるくらいに、整っていたのです。

草が茂っているけれど、何年も放置して育ったような勢いはなく、むしろ最近まで誰かの手入れがあったことが、草刈りをしている人なら一眼でわかるくらいの茂り方でした。

 

 

「ゆかりのある人がまだおるんじゃねえ。私らのような昔の人間にとっては、ご先祖様を弔った場所じゃけえね、まだそれを覚えとる人がおるんよ」

 

 

それを聞いて、なんだか涙が出そうになりました。

ここは、誰かが誰かを想った場所。

ここは、人が最期の別れをした場所。

ここは、まだ誰かにとっては大切な場所。

 

この日祖母と一緒に来たことで、孫にとっても大事な場所になったのは確かです。

 

 

 

 

 

学生時代、恩師から「好奇心だけで土足に誰かの場所へ踏み込むな」と忠告されたことがあります。

想像することはできても、今日ここまで実感したことはありませんでした。

 

誰かにとっての大事な場所や大事なことが、もし共感できることだったら、これからも大事にしたい。

 

 

そのために、調査をしていきたいと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

うちがある地区のお宮は、もう亡くなった祖父と近所のおじいさんがまだ元気だったころ、誰に言われるでもなく掃除をしていたそうです。

 

そういう形の「大切にする方法」は、多分本当は誰かに言われてするものではないのだろうけれど。

話を聞いたから、なんだか心が動いたのでやってみようかな、というのもまたいいのではないかなと思うのです。

 

 

 

私たちはいつか死んでしまうもの、なくなってしまうものではあるけれど、かつてそこにあった「大事にしたい気持ち」に目をやると、ただの場所が少しだけ色付いて見える。

 

 

新しく住み始めた土地でも、故郷だったとしても、その土地がどんな場所だったのか知るだけで、平面じゃなくて奥行きがあるように見えてくる。

 

 

 

おカラス調査、最初のフィールドワークでもう一度、決意を胸にした日でした。

 

 

 

 

 

 

 

以下、おまけ。

 

 

 

 

テンションが上がったせいか、その後、隣の山の頂上まで車でドライブ。

なんでも祖母が若い頃たくさん登った山で、しかも山頂まで車で行けちゃうとのこと。

帰宅の道で、左手の懐かしい山について語る祖母。

孫 「え、行っちゃうの?」

祖母「ほれ、行こうでよ」

二言三言で車は左折。

この判断に孫は後々後悔します。

なんたって、最後の難所はものすごい角度。

しかもガードレールだってついちゃいない。

我が家の軽自動車は、街から峠を越える時だって「えんやらさっと」という具合。

そんな車だから、アクセルベタ踏みしてるのに進まない。

カーブがキツイからバックなんてもってのほか!

なんとか登りきった頂上では、孫が微妙に高所恐怖症のため、テンション上がって下車したがる祖母を全力で静止して下山。

生きた心地はしなかったけれど、祖母はご機嫌。

「まさかこの歳になってまた登れるとはのぉ」

と、感慨深そうに言っていました。

 

 

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案内人、祖母。運転手、孫その1。撮影者、孫その2。